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摂理の核心は愛。間違いを認められる強さ。 [摂理]


こんばんは(*^-^*)

今日も木枯らし吹く中、皆様一日お疲れ様でした。

本当ならば、お疲れ様は目上の人がかける言葉ですが、
他に良い言葉が見付からず、、、(TT)

私の摂理の友達は
「お力さまです」
なんて言ったりしてる人もいます。




さてさて。

今日は特別に書きたいことがあって、
目的をもってやって来ました。


昨日、年末には神様が一年を清算されるとお話ししたのですが、

なんと、今日!

わたくし、あまりに宜しくない自分の悪い考えを見付けてしまいました!



ずっと、今年やるべきことを残すことがないよう、

悔い改めるべきことはすべて悔い改められるよう、

教えてください、気付かせてくださいと祈っていたのですが

なんと、今日!かなりの大物を発見してしまいました、、、(TT)




今日が12/31じゃなくて良かった、、、間に合わないところでした、、、






見付けたのは、
私には全くないと思っていた感情。

「天に対する疎外感」

でした。





この「疎外感」は
摂理の牧師先生が御言葉(神様の言葉)を伝えてくださる中で、
絶対に持つべきでない心だと幾度も教えてくださったものです。

なぜならば、
元々天使だったルシエルは
「疎外感」を感じて
神様に反対し、不信し、サタン、ルシファー、悪魔となったのです。



だから「疎外感」はサタンの大好物。



「疎外感」を見付けるとそろそろ~っと近付いてきて、
隙を見計らって少しずつ…
人間の核心とも言える、考え心精神を持っていってしまいます。




ポイントは少しずつ、また隙をついて、というところです。




いくらたくさん神様について学んだ博学な人だとしても
「疎外感」へ考えが傾いている状態だと
間違った考えを入れられても気付きにくいのです。

それが、少しずつだから、なおさら。






サタンは一気に全部持っていくのではなく
少しずつ間違った考えを注入していくので、
人は、サタンが与えた考えだとも思わず、
自分の考えだと思い、
サタンの考えを大切に抱えて持つようになるのです。





それで、いつの間にか……

「神様、本当に感謝します!」

と希望で生きていた人が

「神様は私を憎んでいる、私は愛されていない」

と言って神様を不信したりするのです。




それも、きっかけは
小さな「疎外感」から、、、、、、。









今日、帰り道にふと、感動が来たのです。


同じような仕事を神様に任されて走っている二人の人。

同じような仕事をもらっている二人なのに、
私はどうして二人のことを
「天から仕事をもらった人」として
全く同じ目で、また完全な愛で
見ることができていないんだろう、、、?




まず、
同じ目で、完全な愛で見れていないことにも
気付いていなかったのですが、、、
このようにふと、考えるようになりました。






その理由。


私に何かまだ、高慢な心があって、

どこかで劣等感を感じて、

羨ましい心を抱いて、、、いたから。



ああ、私は天に対して「疎外感」を感じていたんだなとわかりました。





まさか、ずっとこんな心を持ったまま、
サタンに隙を奪われていたことにも気付かず生きていたのか!と
びっくり、またがっくりきながらも、

そのことを認めて、間違っていました、と
天に告白したら、胸がスッとしました…。





12/16。

今年もあと二週間ですが、
この最後の時に、
またひとつ変化させてくださる主の愛に感謝します。


自分の間違いを認めて、直すのはとてもエネルギーが必要です。

手術して完全に直すのは
つらいけど、苦しいけど、
見付けたこのときがチャンス!



ファイティン、私!



ファイティン、困難にぶつかってもチャレンジしている皆さん!







明日、牧師先生にお手紙を書こうかと思っています(*^-^*)

届きますように☆












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